インタビュー|理事長|西山佳秀

Interview
インタビュー

患者様の願いを叶えるために。
歯科にこだわらず、地域医療全体にかかわって
「家ですごせる健康長寿社会」を作っていきたい。

医療法人あかぎ 理事長
西山佳秀

医療の道に進んだきっかけは、
兄の言葉。
人生は何を残すか。
長い人生を送ることを考えるなと言われた。

子供の頃から病気がちで、修学旅行にも行けませんでした。

両親には「将来は医者になって困っている人の役に立ちなさい」と言われていましたが、当時は親への反抗心もあって、”理学部に行ってノーベル賞をとるんだ!” と思っていました。大学受験の浪人をしているときも、尊敬する兄が落ちてしまった京都大学に受かって、ただ兄のリベンジをしようと思っていたんです。

ところが、その兄に見透かされた。
下宿にやってきた兄に、本当にやりたいことは何かと質問されました。
お前は体が弱いという現実を受け止めなければいけない。
「人生は何を残すか。長い人生を送ることを考えるな」と。

私は広く社会に貢献するよりも、ひとりひとりの患者様と向き合って癒す方向に行こう、と決断しました

そうして私は浪人時代の秋に志望を変更し、医療の道に進むことになりました。

偶然の訪問歯科との出会い。
衛生士さんから患者様との関わり方を学んだ。

最初は歯科医ではなく、医者になろうと思っていました。
医学部に落ちて、滑り止めで受かったのが歯科大学だったんです。

大学に入ってからも、アトピーやぜんそくで休みがちでした。大学2年生のときには皮膚が膿でドロドロになり、網膜剥離・白内障も発症しました。一時失明したものの、手術によって奇跡的にまた目が見えるようになりました。しかし、水晶体を取ってしまったので分厚いメガネが必要で、臨床もよく見えない状態でした。見えないのを大学のインストラクターに馬鹿にされたこともあります。それでも休学・留年をしながら、やっとのことで卒業しました。

訪問歯科との出会いも偶然でした。大学院では同期が3人いるうち、私の研究テーマが決まったのは一番最期でした。それが訪問歯科だったのです。同じ研究室を卒業した開業医のOBのお手伝いをしながら博士論文を取りました。

最初は訪問歯科も乗り気というより、論文のために行っている感じでした。しかし、その先生が先んじて診療に摂食嚥下を取り入れていたり、一緒に行ったベテランの衛生士さんの患者様との関わり方を学ぶうちに、考え方が変わっていきました。私にとって、とても幸運なことだったと思います。

卒業後もその先生のもとで働くことも考えたのですが、訪問歯科を全国展開しているグループ法人から声がかかり、勤務することになりました。そのうちに役員に抜擢され、経営も本格的に学ぶことができました。歯科技工所や歯科ディーラーという歯科関係の運営はもとより、在宅医療や介護施設・通所介護の運営、海外事業や物販、M&A等々、幅広い経験をさせていただきました。東日本大震災の時には南三陸で約一ヶ月間、災害歯科に携わり、大学院時代に触れた摂食嚥下に関しても日本の第一人者の摂食嚥下リハビリの医師の元に勉強に行かせてもらいました。

全てはご縁で本当に感謝しています。

両親を見送りながら、あかぎを創立。
もっと訪問歯科に力を入れなければ、と思った瞬間でもあった。

両親の体調が悪化し、千葉から郷里の群馬へ毎週通う生活になりました。兄弟が遠方に行ってしまっているため、自分しか面会もままならない状況だったのです。当時は結婚して二人の子供もいましたが、よく状況も分からない4歳の長女の手を引きながら群馬に新幹線で通っていました。

このままでは生活が難しいので、妻の了解を得て、上の子が小学校に入学するタイミングで家族と群馬に移ることにしました。

グループの代表には退職して独立したいこと、群馬にあるクリニックを買い取りたいことを申し出ました。今まで自分を育てて、支えてくれた人たちとの別れを決断するまでには、様々な葛藤がありましたが、最終的にはグループから資金を借りてクリニックを購入することができました。

当時は片目を失明していて、歯科医師として院長としてやっていけるか不安もありましたが、前職の部下の協力や懇意にさせていただいている大学OBのサポートもあって、クリニックは軌道に乗り、一年間で歯科医院経営を立て直し、法人設立まで漕ぎつけることができました。これがあかぎの始まりです

また、母は半年以上、意識のない状態で入院中でしたが、歯科医師の立場から見て口腔ケアが十分にされているとは思えませんでした。そこで、自分が歯科医師であることを明かし、自分に口腔ケアをやらせてもらえないかと提案しました。前職で年間100回以上、日本だけでなく台湾でも訪問歯科と口腔ケアに関するセミナーを企画・運営していましたが、歯ブラシ一本でコミュニケーションは取れるということを、実際に自分で体験することになりました

幼いころから身体の弱い私をいつも心配し、支えてくれた母の口の中に歯ブラシを入れることなど初めてのことでした。何を話しかけてももう言葉を返してくれない母と私を繋げているのは、このたった一本の歯ブラシだけだったのです。いのちの電話のボランティアなど、人の悩みまで聞いて相談に乗ってあげていたのだから、今度は息子の私の悩みも聞いて下さいなどと皮肉を言いながら口腔ケアをしていました。看取りの口腔ケア、エンゼルケアをすることができました。

その少し前、意識のない母の看病中、父が倒れました。
一人暮らしが難しくなっていたので、兄弟と相談して施設入所を説得しました。
手術もしました。簡単な手術だからと術前の説明を受けたのですが、結果は思わしくなく、一気に衰弱していきました。

私にとって身体もメンタルも強い武人のような人で、食べるのが生きがいの人だったのに、徐々に食べることができなくなってしまいました。本人も何とか食べなくてはならないと思っているので「食べなれたどこどこのものを買ってきてくれ」と頼まれ、買っていくのですが、たった一口、口に入れるだけで食べられなくなってしまうのです。
見ている私も辛く、父の前では溢れる涙を必死に堪えたものです。

歯科医師として摂食嚥下も学んで来ましたが、機能とは別次元で食べられなくなっていく父に何もしてあげることができず、自分の無力さを痛感する日々の中、母が逝って1年も経たずに父も後を追うように逝きました。

それこそが今求められる訪問診療ではないか?
信頼関係があったからこその、不思議な経験

私たちの仕事は、人の最期に近い場面が多くあります。
その中でも、特に頭から離れない出来事がありました。

ある日、毎週のように訪問診療で伺っていた在宅の患者様が亡くなりました。通常であれば亡くなった方に対してケアをすることはないのですが、ご遺族から「最後に口腔内を掃除して、入れ歯をセットしてもらいたい」という要望が入りました。

亡くなった方のお口のケアをしたことはこれまで一度もありませんでしたので、当時はよくわからないまま、懸命に亡くなった方のお口の中を綺麗にお掃除し、入れ歯を装着しました。なんとも不思議な感覚です。

ご家族は故人に「綺麗にお掃除してもらって良かったね。入れ歯入れてもらって綺麗になったね」と伝え、ありがとう。ありがとう。と何度も我々に対し深くお辞儀をしました。

患者様は、望む治療を受けながら、自宅で最期を迎えることができました。

ご家族からの言葉も、最期まで寄り添い、傾聴してきた結果なのではないかご自身で歯医者に通えない方に、口腔ケアやむし歯の治療をする事だけが我々の仕事ではないのではないか

「それこそが今求められる訪問診療なのではないか」
そう強く思うようになった出来事でした。

いまでも「最期は自宅で」と希望していても、結局は病院で最期を迎える患者様が多いという現実があります。こういった方の願いを叶えるため、歯科にこだわらず、地域医療全体を作っていく必要があります。そこにかかわるすべてを持続可能な形に変えていきたい。その全てに関わりたい。
患者さんと一緒に、家ですごせる健康長寿社会を作っていきたいと思っています。

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